私は月が好きです。
自ら光を発する太陽よりも、その光を受けて美しく輝く月の方が好き。
だから、ステンドグラスも好きなのかもしれないなぁ。
ステンドグラスって、窓であれば自然光を受けて
ランプであれば、中からの光によって美しさを最大限発揮する。
何の光も受けないステンドグラスに、感動はない。
光の力を受けて、はじめてその本領が発揮される。
私もそんな人になりたいなぁと思うんです。
人の力を借りて、自分の力を発揮する。という、そんな陳腐な考えではなくてね。
それだけで存在はしてるけども、何かによって最大限に美しさを増すもの。
何かによってしか最大限に発揮されないものって
人に頼ってるように感じるかもしれないけども
それ自体が完成されていないかぎり、その何かに引き立てられても感動はないと思うんです。
たぶん、光があたっても、誰にも気付かれないでしょうね。
何かによってしか発揮されないものは、そのタイミングがくるまでの間も
自分で完成へ向けての準備がされているんです。
月は太陽に照らされて、人々に美しいと思いながら見られているなんて思ってもいないでしょう。
ただ、そこに存在する。
美しい完成形として、存在する。
誰かの評価を期待して、誰かの力を期待して、周りに囚われるのは、なんだか悲しい。
己の完成形を目指した時に、善きタイミングで照らされるのが自然なのかもしれない。
その光を受けた時に、お互いがお互いである「意味」を感じる人が
パートナーなんだと思います。
そして、光の満ち欠けが終わった時にも、自分が「ここ」に存在しているのであれば
その光の終わりは、何も悲しくはないと思うんです。
死ぬまで光をあて続けてくれる場合もあるかもしれない、思っていたよりも早く欠けていくかもしれない。
でも、その時間も、また自然の流れなんだと思う。
パートナーなんて言うと、恋人や夫婦と思われてしまうけども
そんな限定された分かりやすい関係の話しではなく、心のパートナーです。
それを見つけた人は、とても光り輝いている。
2冊買っていた。。。
本当に「読みたいなぁ」と思ってたんだろうね。
2度も手にしてしまうなんて。
どんな話なんだろう?とても楽しみ。