何事も始めるきっかけってある。
でも、人に説明する時は、後付けの理由を話す事が多い。
それは。その後付けの事の方がもっともらしく聞こえるから。
もしくは、人が納得するような理由をつけて説明するというのが正しいかもしれない。
いろんな事をしても、続かない人がいた。
その人は、「人の為」を動機にしてたから。
それは素晴らしい事です。
でもね、「人の為」のもっと奥深くには、「自分の為」がなくてはいけないんだと思うの。
「人の為」だけを理由に始めてしまった人は、ありがたく思われないとか
理解されない状況になると
「なんで!あなたの為を想ってやったのに!」となる。
そして、自爆する。
心の真ん中に「自分の欲求」があれば、理解されなくても
「へぇ。この人には分かってもらえないんだな」って思うだけで
続けていけれるんだと思う。
「自分の欲求」で始めたのに、なんだか良い話しがあって
ちょっとだけ本当にしたかったことを変えてしまう場合もある。
それは、素晴らしい提案であるがために
自分の進む道を少しだけ変えたりする場合。
これも、うまくいかない原因になることもある。
とてもいい話しでも「ん?」と思ったら、やらない方がいい。
ベクトルは外へ向けろと言われます。
人の為に貢献してこそ、成功すると。
でも、これってね。
自分の中に何もない人が外へ向けて発信しても
そりゃ続かないよね。
自分の中の「本当にやりたいこと」がないんだから。
これが溢れた時に、人にも分け与えれるんだと思うんだ。
溢れるまで、貢献なんて事はできなくてもいいと思うの。
そして溢れた時に、惜しみなく人にも分けようって思う心が大事だという事なんだと思う。
大人になると、頭で考える。
世間に通用するような事をしなくちゃいけないという固定観念もある。
でも、本当の心の声も大事にした方がいいと思うんだ。
何かをする時に、あれこれと利点を言うのではなく
「あなたと一緒に何かしたい」とか
「自分理想の場所が欲しい」とか
「これをするのが好き」とか
「どうしてもこの人を助けたい」とか
「なんか、楽しそう!」とか
子供のような理由を、恥ずかしがって隠しちゃいけないと思う。
「頑固」とよく言われるけども
自分の心にウソをついた時って、良い方向へいかないと思うから、
私は「頑固」と言われてもいい。
続かない事の方が、いろんな人に迷惑をかけるしね。
嘘つきにだけは、なってはいけないと思う。
自分にウソをついたら、もう誰も信じれないじゃない。