一生懸命に真似をすれば
その人の本当にやりたかった事がわかる
昨日読んでた小説で、模写について綴った言葉。
これは、なんとなくわかる。
たまに100年以上前に作られたステンドグラスの修復のお仕事がある。
教会に昔のステンドグラスをつける時に、割れてしまったものを直す。
教会のステンドグラスなので、ガラスの入れ替えだけではなく
絵付けの作業もある。
人物や周りの部分は、ガラスに線や影を描いて焼いてあるので
その部分も同じように絵付けして、ガラスを入れ替える。
この作業はとても不思議な感覚に陥る。
100年も前の職人さんの気持ちが、一筆一筆なぞるごとに蘇る。
その時の意識の高さも伝わる。
技術だけでなく、その人の気持ちまでも再現する感覚。
そして修復なので、どこを直したのかわからないくらいにならないといけない。
ガラスを入れ替えて、離れて見た時に、どこを直したのか分からないまでになると
その過去の人と一体になったような、妙な達成感もある。
なかなかこういった仕事に恵まれるチャンスはないので、とても貴重です。
去年ミュシャのステンドグラスパネルを作った。
ミュシャはステンドグラスは作ってないけども、ステンドグラスを想わせる部分も多い。
絵付けの勉強のためと、作品に対する意識の位置を感じたく作った。
模倣は、その人の気持ちも感じれる貴重な学習だけども
でも、やっぱり真似である以上、その人を越えることはできない。
越えてはならないというのが正確ではあるけども
それ以前に、大胆さはない。
見ながら、感じながら線を描いていくので、大胆な自由な線にはならないからだ。
そのもどかしさも感じれるから、自分の作品に必要な大胆さもわかってくる。
たまには、そういう勉強も必要です。
あの人のようになりたい。
そう思う気持ちは、自分を成長させてくれるはずですね。
真剣に真似をすれば、うっすらとした壁が見える瞬間がある。
そこがその人の限界で、それを越せばその人を越えれる。という話しではなく
その壁を真摯に感じて「こんなところまで、この人は来たのか」と尊敬する。
そこまでこれたのは、自分が凄いという錯覚に陥ってはいけない。
そこまでこれたのは、その人の道を辿ったからだと感謝して
その壁の向こうのその人を尊敬しなくてはいけない。
その壁はその人の限界ではないから。
人にはたくさんの面がある、道筋がある。自分はたまたまその1つを辿っただけだから。
そして、壁が見えるくらいまで頑張れた自分を見つけたら
そこから自分のオリジナリティを見つける時です。
私のミュシャのパネルは。。。60点だな。
でも、作ってる時、すっごく楽しかった。