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人が成長する時

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  一生懸命に真似をすれば
  その人の本当にやりたかった事がわかる

昨日読んでた小説で、模写について綴った言葉。
これは、なんとなくわかる。
たまに100年以上前に作られたステンドグラスの修復のお仕事がある。
教会に昔のステンドグラスをつける時に、割れてしまったものを直す。
教会のステンドグラスなので、ガラスの入れ替えだけではなく
絵付けの作業もある。
人物や周りの部分は、ガラスに線や影を描いて焼いてあるので
その部分も同じように絵付けして、ガラスを入れ替える。
この作業はとても不思議な感覚に陥る。
100年も前の職人さんの気持ちが、一筆一筆なぞるごとに蘇る。
その時の意識の高さも伝わる。
技術だけでなく、その人の気持ちまでも再現する感覚。
そして修復なので、どこを直したのかわからないくらいにならないといけない。
ガラスを入れ替えて、離れて見た時に、どこを直したのか分からないまでになると
その過去の人と一体になったような、妙な達成感もある。
なかなかこういった仕事に恵まれるチャンスはないので、とても貴重です。

去年ミュシャのステンドグラスパネルを作った。
ミュシャはステンドグラスは作ってないけども、ステンドグラスを想わせる部分も多い。
絵付けの勉強のためと、作品に対する意識の位置を感じたく作った。

2015_01_08

模倣は、その人の気持ちも感じれる貴重な学習だけども
でも、やっぱり真似である以上、その人を越えることはできない。
越えてはならないというのが正確ではあるけども
それ以前に、大胆さはない。
見ながら、感じながら線を描いていくので、大胆な自由な線にはならないからだ。
そのもどかしさも感じれるから、自分の作品に必要な大胆さもわかってくる。

たまには、そういう勉強も必要です。

あの人のようになりたい。
そう思う気持ちは、自分を成長させてくれるはずですね。
真剣に真似をすれば、うっすらとした壁が見える瞬間がある。
そこがその人の限界で、それを越せばその人を越えれる。という話しではなく
その壁を真摯に感じて「こんなところまで、この人は来たのか」と尊敬する。
そこまでこれたのは、自分が凄いという錯覚に陥ってはいけない。
そこまでこれたのは、その人の道を辿ったからだと感謝して
その壁の向こうのその人を尊敬しなくてはいけない。
その壁はその人の限界ではないから。
人にはたくさんの面がある、道筋がある。自分はたまたまその1つを辿っただけだから。
そして、壁が見えるくらいまで頑張れた自分を見つけたら
そこから自分のオリジナリティを見つける時です。

私のミュシャのパネルは。。。60点だな。
でも、作ってる時、すっごく楽しかった。

 

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